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松下忠洋 経歴

1962年(昭和37年)3月 京都大学農学部を卒業。大学時代は応援団に所属。
1962年(昭和37年)4月 建設省に入省。
1991年(平成3年)6月 建設省砂防部長
1993年(平成5年)7月 衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し初当選。以後連続4期当選。
1998年(平成10年)7月 小渕内閣で農水政務次官に就任。
2005年(平成17年)9月 自民党を離党し、無所属で総選挙に出馬し落選。一旦、政界引退を表明。
2009年(平成21年)8月 第45回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区より国民新党公認で出馬し、 自民前職の宮路和明を破り5期目の当選。
2009年(平成21年)9月 鳩山由紀夫内閣において経済産業副大臣に就任。
2012年(平成24年)2月 野田内閣において復興副大臣兼内閣府副大臣に就任。
2012年(平成24年)6月 野田内閣において内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任。
2012年(平成24年)9月 満73歳没

京都大学卒業後、建設省に入省。昭和45年に外務省経済協力局に出向し、インドネシア公共事業省に派遣される。インドネシアとネパールで砂防技術センター設立。大分県砂防課長時代、一村一品運動に参画。
雲仙普賢岳の土石流災害にはヒゲの鐘ヶ江市長と共に建設省砂防部長として不眠不休で対策に取り組んだ。平成4年建設省を退官。
同5年衆議院議員選で初当選、同8年2期当選を果たす。
一期生時代に農林水産委員としてコメの自由化反対を訴え松岡利勝議員らと共に国会議事堂前に48時間の断食座り込みを敢行。その後、麦対策等小委員会委員長や農林行動隊隊長として若手議員と共に数々の難題や価格交渉等に尽力。阪神淡路大震災でも防災・災害対策のプロとして即断即決で単身での現地調査から予算措置まで大活躍した。一貫して農林水産業、公共事業の分野で活躍したが一方、福祉関係では障害者対策のバリヤフリー問題を厚生委員会で取り上げ大きな成果を見た。二期目当選後は、議院運営委員会・農林水産委員会・災害対策特別委員会の各理事にも選任され与野党間交渉に奮闘した。党では農林・建設・地方行政・社会・交通の各副部会長などを歴任、中でも畜産・酪農対策小委員会委員長(連続二期)や林政基本問題小委員会委員長、国有林野問題小委員会委員長代理として抜擢され持ち前の行動力を発揮し、各方面から多大な評価と期待を寄せられる。現在は小渕内閣で農林水産政務次官を務め行動派として頭角を現わし政権の一翼を担う。地元では地域おこしの「平成の松下村塾」300人を率いる塾長でもある。京大時代は応援団長としてアメリカンフットボールを日本一のチームにした立役者の一人でもある。

信条 ○ 「人」という字をほんとうに書ける人間になること。
○ 「うそをいうな、負けるな、弱い者をいじめるな。」

愛読書  「故郷忘じ難く候」「坂の上の雲」等司馬遼太郎作品

趣味 歴史探訪、民族音楽、歴史小説読書、沈壽官氏の陶芸作品鑑賞

座右銘  「受けた情は石に刻み、懸けた情は水に流せ」、「砥柱中流」、「敬天愛人」

著書  「自然の復元」(山海堂)など多数

TEL 0996-22-1505

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